REPORTレポート

東北コットンフェスティバル2019 in東松島

  • 2019.12.11Event

    本レポートでは、取引のある海外の農園様への視察や、各イベントにて見学させていただいた内容などをご紹介できればと考えております。

    今回のレポートでは、東北コットンフェスティバルの様子をご紹介させていただきたいと思います。

    2019年11月23日の朝、雨模様の仙台を出発。雨天でも綿摘みはできるのかと不安漂う中、バスは東松島の赤坂農園に到着。幸いにも雨は降っていませんでした。

    何となく神がかりな気分の中、次々と摘まれていく綿はどんどんと積みあがっていきました。これまで綿摘みの経験がなく今日の参加を楽しみにして来たと言う人や、糸繰りの様子を見て糸が綿からできるとは知らなかったと言う人など、様々な方がご参加されておりました。また、摘まれたたくさんの綿に子どもたちは大はしゃぎで転がりまわっていました。


    赤坂農園の最寄り駅である「矢本」は、航空自衛隊の曲技飛行隊(通称ブルーインパルス)で有名ですが、聞くところによると、8年前のあの日、基地は海水に浸かってしまい自衛隊の出動どころではなかったそうです。
    赤坂農園を離れた私は、JR仙石線に乗車してみました。
    仙石線は、私の古い印象では海岸のギリギリを走る路線でしたが、2011年3月11日の津波で壊滅した線路は、沿岸から高台に移され、2015年に運行を再開したのだそうです。
    現在、海岸線に広がるまばらな松の木は、震災前は松林だったそうです。

    その車内で石巻に住むご姉妹に出会いました。
    お姉さんの方は震災で九死に一生を得た方で、当時の話をお伺いさせていただくことができました。
    被災時、夫と車で避難しているところを津波に襲われたそうです。
    何とか窓から脱出でき、車の屋根によじ登って見た光景は、映像を見ているようで現実のものと認識することはできない程、壮絶な光景だったそうです。
    意を決し、泥水の中へ飛び込み必死で泳いでようやく地面に立てたのだそうです。
    そのお姉さんから「着るものを持って来てほしい」と連絡を受けた山手に住む妹さんは何が起こっているのか、にわかには理解できなかったそうです。
    現在、新野蒜駅と新東名駅周辺は復興計画として新しい街づくりがされていました。お二人は街の復興を喜ばしく思いつつも消えていく震災遺構に思いを寄せていました。
    いつか震災の記憶も薄れていくのかなとつぶやかれておられました。


    私たちの東北コットンプロジェクトは、東北で綿(コットン)を作って終わりではありません。
    コットンを通じて被災地に寄り添い、被災地と生きていく。
    普通の人が普通に被災地とつながっていく。
    東北コットンの服やタオルを普通の人が普通に使う。
    “いつもの暮らしと被災地をつなぎ、皆様にも無理なく継続的に農家の方々を応援できる仕組みをつくること”それが東北コットンプロジェクトなのです。

    赤坂農場の赤坂さんに「たくさん収穫できましたね」と言うと、「今年は東北コットン100%でLeeさんが作ってくれるから」と目を細めて大変うれしそうに話してくださいました。
    東北コットンフェスティバル2019にみんなで摘んだ東北コットンはもうすぐ大正紡績に届き紡績が始まります。

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